「イニシェリン島の精霊」をみた。
とてもいい映画だった。
基本的には単調な、退屈な島の暮らしを描いていて、いい年こいた男2人の喧嘩を描いているのだが、見れるし発展の仕方がすごい
この映画のコルムが感じている「絶望」が同じかはわからないけど共感できる。
自分は何事も成し遂げず、誰の記憶にも、記録にも残らず死んでいく。自分が生きた証はなんなのか。生きている意味は?人生は死ぬまでのただの暇つぶし?なんてことを紋々と考えることがある。特段島での暮らしはそういうものを考えてしまう時間が多いのだろう。最近はそんなこと考えることはあまりなくなった。刹那的に生きている。眠いから寝る。食べたいから食べる。いやなことは考えない。とにかく酒を飲んですべて忘れる。向上心のかけらもない。
主人公のコリンファレルは、厄介な人物だ。自分はいい人間だと思ってる。こういう人間が一番たちが悪い。実際、悪い人間ではないのだから。じゃあいい人間か?というと。???となる。まあ要は退屈な人間なのである。別に彼と共に過ごす時間は、居心地はいいのかもしれないけれど、その時間が何か生産的なものか、有意義か?というと全くそうではない。人生の終盤に差し掛かり、人生このまま何事もなさずただののうのうと死んでいく。それがコルムは嫌だったのだろうと思う。
たぶん話しても理解できないだろうから話さなかったのだろう、いや、きちんとそう伝えてはいたけど、そういう感覚が主人公には理解の及ばぬものなのだろう。
ただ、主人公が切れてやさしさというのは人の記憶に残るっていうところがあった、
コルムはやさしさで有名、今世紀まで名前が残っている人物はいるか?と言っていた
こういうところの価値観の差っていうのは埋めようがなく
どちらが正しくてどちらが間違っているなんて類のものではなく、どうしようもないもので、受け入れるしかないと思う。
そういう分かり合えないものっていううのが喧嘩引いては戦争になり、
そういう違いがあるとう受け入れるしか共に生きていく道はないのかもしれない。
そんなことを思った。
あとは島の生活の孤独っていうのはひしひしと伝わってきた。
テーマは非常に普遍的なものなんじゃないかなと思った。
指を投げるのはわからないようでわかる。気がするけどわからない。
まあそのくらい、相手のこと好きだったというか、嫌いではないってことのあ裏返しなきがするな。折れるとまた元の生活に戻ってしまうから。やるときは徹底的に。
自分もそういうスタイル 1か0かだよ。
昔からの友達だって、ずっと友達の人ってそんなにいないんじゃないかな。
いろんなことを考えるようになって、いまは考え方が違うし会いたくない。でも別に友達じゃなくなったわけではないと思うのよね、たまに思い出して安否を確認する、そのタイミングでまた仲良くなったり ならなかったり
そんな感じじゃないかな。